こんにちは。ゆきおアンテナです。
さて、前回の記事では、死後から、死後の世界を経て、生まれ変わる(転生)までの流れをスピリチュアル的な体系で捉えたモデルを提唱してみました。
今回はそれをふまえて、巷で言われている「生まれ変わり」のイメージと本ブログでの生まれ変わりの認識の違いというのをテーマにしたいと思います。
※本記事は、特定の宗教・思想・教義を支持するものではなく、私自身の体験と調査、そして矛盾が少ないと思われる構造を整理した「一つの考察モデル」です。
読者の方それぞれの実感や考えと照らし合わせて、違和感があれば無理に受け取る必要はありません。
- 世間一般の「生まれ変わり」イメージとは
- 映画に見る「まるごと転生論」の典型例
- 本ブログで扱う「多次元的転生論」
- 両論を比べたときの違和感の正体
- なぜ「まるごと転生論」が広く受け入れられるのか
- まとめと次回予告
世間一般の「生まれ変わり」イメージとは
いきなりですが、みなさんは「生まれ変わり」と聞くと具体的にどういった内容をイメージされるでしょうか?
おそらくですが、「AはBの生まれ変わり」とした時に、
【Aの人格や記憶がBにそのまま(もしくは部分的に)引き継がれた】
という文脈で語られることが多いのではないでしょうか?
そして、魂的には
【Aの魂がそのままBに移動し、Aの魂としての個性は消失する】
というように一方通行的な流れのイメージを持っている方も多いのではないのでしょうか?
かつての私もそういう考えでしたが、本ブログを運用するにあたって、いろいろ調べてる内にスピリチュアル的には違うのではないか、と感じるようになりました。
この記事では説明上の比喩としてわかりやすくするために
・世の中や世間一般で言われている「生まれ変わり」のイメージ⇨まるごと転生論
・本ブログで取り上げている「生まれ変わり」に対する認識⇨多次元的転生論
という言葉で両者を区別したいと思います。
なお、多次元的転生論については、前回のこちらの記事を見ていただければ内容を概ねご理解いただけると思います。
未読の方はぜひこちらもご覧ください。
yukiotoyukitotakeshi1207.hatenablog.com
映画に見る「まるごと転生論」の典型例
私は最近AmazonPrimeVideoで「生まれ変わり」をテーマにしている某映画を見ました。
具体的な作品名を出すといろいろ差し障りがあるので控えますが、【まるごと転生論】的な内容でした。
説明を簡略化するため、登場人物をアルファベットで表記します。
ストーリーの一部をかなり簡略化して説明すると、
①重要な登場人物をそれぞれA(成人)、B(学生)、C(子供)とする。
②AとBはそれぞれ別の場面で時系列的にA⇨Bの順で死亡するシーンがある。
③Bの生前、Aの生まれ変わりということを示唆するシーンがある。
④終盤近くに登場するCはBの生まれ変わりであり、なおかつAの記憶も持っていることを示唆するシーンがある。
⑤Aの記憶や人格の断片があるCは、Aの恋仲関係である人物と時空を超えた再会を果たす。
この説明だけだと、全体像がイマイチ見えてこないのですが、A、B、Cの関係には重要なポイントがあります。
それは、
①AからB、BからCと過去の記憶や人格、魂が【そのまま移動】したかのように思わせる言動が見受けられる。
②それゆえ、A⇔B⇔Cはそれぞれ共通の記憶や共通点があるし、周囲もそれに気づいて「この子生まれ変わりなんだ、、、」と認識する。
という構成になっています。
この内容は次項で解説する多次元的転生論とはまるで違う解釈・概念となっています
本ブログで扱う「多次元的転生論」
詳細な説明はこちらの記事に任せますが、スピリチュアル的にはまるごと転生論とは異なる考え方です。
一方通行ではない魂の構造
基本形態としては、
①魂の集合体(グループソウル)⇒②個人の魂⇒③転生先(生まれ変わり先)
であり、①②③は同時的に存在しているというのが大きな特徴です。
つまり、映画の例で挙げたようにA⇒B、B⇒Cと一方通行的に魂が移動するのではなく、
【転生しても元の魂AはAでそのまま残る】
という考えになっています。
アニマルコミュニケーターの証言との接点
この事に関連して、ゆきおの命日に出会ったアニマルコミュニケーターとの会話での印象に残った言葉を紹介します。
「生まれ変わりというのは信じていなくて、光の世界にある魂の集合体からカケラが分かれて次の命に宿る、、、」
一語一句正確には覚えていませんが、確かこのような旨のことを言っていました。
本人じゃないので真意のほどは不明ですが、
「生まれ変わり」=まるごと転生論的な考えが一般化しているが、自分の感覚とは異なる。
だから、「生まれ変わりは信じていなくて、、、」という言い方をしたのではないでしょうか?
少なくとも私はそのように捉えていますし、
光の世界=6次元領域
魂の集合体=グループソウル
という意味で言っていたのだろうと推測します。
yukiotoyukitotakeshi1207.hatenablog.com
両論を比べたときの違和感の正体
先ほどの映画の話に戻りますが、賛否両論気味でネガティブ評価割合もそれなりに多いように見受けられます。
それにこの映画は、
人物Aありきで話が進み、(Aの魂が宿った)Bが仲介役になって、Aの魂がCに移動する。
と見られても仕方がないようなやや強引な設定になっています。
このような構成上の歪みや無意識レベルでの違和感が作品の評価を分ける理由になったと推測します。
ただ、フォローもしますと、作品に出てくる主演級の役者さんは有名な演技派俳優が揃っています。
心を動かされるような迫真の演技力なのでそれなりに感情移入して見れました。
ただ、あくまでスピリチュアル的には違和感が多すぎるというのが率直な感想です。
なぜ「まるごと転生論」が広く受け入れられるのか
冒頭で言及したように世間一般的な「生まれ変わり」のイメージや認識は、まるごと転生論的な考えが浸透しているわけですが、その理由として2つほど挙げられると考えています。
ストーリーとして分かりやすい
「前世のAが今世ではBに生まれ変わった」
という構造は、時間軸で直線的に理解できるので物語として非常に扱いやすいというのはあると思います。
輪廻転生の例え話や映画、ドラマの筋書きとしても向いている構造です。
対して、多次元的転生論は「グループソウル」「6次元」「アカシックレコード」「部分的転生(魂のカケラ)」など高次元で抽象的で複雑な概念です。
なので一般の人にとっては直感的にイメージすることが困難というのが、まるごと転生論が世の中で優位な理由の一つと考えます。
感情的に救いがある
人間は「自分(個)」というアイデンティティで生きているため、 「自分がそのまま別の体に移る」という方が感情的にしっくり来ます。
特にペットや家族など、「個」として強い絆を結んだ存在の場合、 「その子が丸ごと帰ってくる」というイメージの方が救いを感じやすいという理由も大きいかと思われます。
以上のような理由から、まるごと転生論の考え方が一般的なイメージとして浸透しているのかと思われます。
まとめと次回予告
「生まれ変わり」や「転生」をテーマにした記事として、前回のスピリチュアル体系的に捉えた記事、今回の社会的、文化的イメージを捉えた記事をまとめてきました。
ここまで詳しくまとめたのは、探求心、死後の世界のさらにその後、ゆきおの魂の行方などを知りたいという一心からだと思っています。
このような実感が全くわかないスピリチュアル・オカルトの場合、推測と感覚で語るしかないのですが、与えられた情報をかき集めた上での整合性の追及姿勢は今後も続けていきたいと思っています。
次回はアニマルコミュニケーターの信憑性検証の最終記事として、【霊視領域】をテーマにした記事を書いてまとめたいと思っております。
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
よかったらX(旧Twitter)の方もフォローしてくれたら嬉しいです。